FP(ファイナンシャルプランナー)3級を独学する

【独学】FP3級合格を目指すblog

お金の知識を得ることこそ自分の身を守る最善策

MENU

お金と自分史

f:id:pings06kzk04io:20211122152557j:plain



 FP3級の独学、復習をメインとしていますが、一応自分自身についても触れておきます。単に自分の経歴を書いても面白くもないだろうと思うので、今だからこそ振り返ると悔いが残る部分も多い"お金のエピソード"を軸に書いてみます。


実家を出て大学へ

 生い立ちや幼少期などから書き始めると長い話になるし、記憶も怪しいので、とりあえず人生の岐路的な大学時代。家庭環境は悪くもなく、ザ平凡な環境だったので家を出たかったとかそういうことではなく、学びたいことを学ぶ環境がある大学がたまたま遠かったので結果18歳で家を出たわけです。まぁ珍しくもないですね。

 大学時代に特筆お金にまつわるエピソードはありませんでした。あるとしてもお金がなくてこんな貧相なごはん食べてましたくらいのことでしょうが、仕送りも十分あり、アルバイトも2件こなして、むしろ貯蓄できるくらい余裕がありました。でも思えばここでお金に苦労しなかったことが後々良くなかったのかなと最近は思います。

 多くの成功者は必ずお金の苦労をしている時代があるように思います。お金がないからこそ学べること、稼ごうとする意識やそのアイデアが育つのかなぁなんて思うわけです。

大学を卒業

 大学時代に大きな事件事故はなく、平々凡々と落とすことなく単位を取得し、至って普通の成績で学士号取得しました。あ、一つ。大学生終盤の4年生時にお付き合いしていた女性が現在の妻です。

 またここである職業を目にする機会があり、その仕事に取り憑かれた私は技術習得すべく、1年間の講習会へ参加します。地方とはいえ国立の4年制大学の新卒という立場を蹴ったこの決断は今でも後悔しています。思えば何よりその職業の世界に私は性質上まったく合ってなかったと思います。高卒でもなれる職業であり、成功すればある程度高額な収入も得られる反面、労働時間も相応に多くなり、現在のような時間の使い方ができない生活になったと思います。

 ITが本当の意味で伸びる直前だっただけに、稼げる分野の稼げる会社を選択するという知恵がその頃あれば大きく人生は変わっていたと思います。


職業訓練学校へ

 1年間の講習会ですが、寮に入り、十数人との共同生活を送るため学校としました。技術を習得し、関連の事業所へ入る準備期間です。ここでも仕送りしてくれた親のおかげで勉強に打ち込めましたが、やはりお金に苦労するという経験をまたしても放棄してしまいました。

初めての就職

 小さな事業所でした。住み込みでの仕事で月収は手取り13万円。4年制大学を卒業してこれはさすがに親不孝なことしたなと思いました。別段私の事業所が低いわけではなく、業界平均みたいなもんです。1年目はここからスタート。一応年1回の昇給はありました。しかし元がこれですから、上がったとて・・・です。前述の通り、仕事に縛られた時間が多く、このころはお金について、ましてや投資などについてはまったく触れることができませんでした。

 3年目あたりで結婚し、少ない収入ながら共働きで生活していました。このあたりで少し興味をもったのがFX。外国為替取引です。今思えば投資についてロクに学ぶことなく、何かで聞きかじったとはいえ、スタートがFXとは相当危険な行為です。もちろん少ない月給のため、資金も乏しく10万円からスタートしました。結果は推して知るべし、東日本大震災後のドル円暴落にて余裕の退場となりました。以降FXには手を出しておりませんし、今後も仮想通貨とFXにはかかわることはないと思います。

解雇&地元へ帰る

 5年目でしたか、事業所の経営が怪しくなり、あっさり解雇。一応5年間、自分なりに尽くしてきたうえ、仕事自体は好きでしたのでショックでした。ただ、向いていなかったのも事実です。正直、一生をその仕事というか世界で生きていくという気持ちは持てませんでした。

 独身であれば少し期間を置こうかとも思いますが、そこは家庭がありますので早急に次の仕事を探さないといけません。ここで幸か不幸か父親の病気の一報があります。実家は事業をやっており、本人はそこまでではないかもしれませんが、私は真剣に跡を継ぐことを考え決意しました。そしてここでも、苦労を放棄しました。懲りません。

転職

 先の仕事とは完全に畑違いの実家の仕事。一応営業職ということですが、経営についても勉強していかなければなりません。病気の父でしたが手術も成功し、現在も現役です。私の決意はどこへやらです。

一軒家の購入

 実家に帰るやいなや、一軒家信仰の父から、家を買うべしと説得をうけました。定番の「家賃を払うことを考えれば、将来自分のものになる持ち家のほうが得だ」という文句。数年後、この理論が嘘であることを知ります。家は資産ではありませんでした。しかし、別の部分をみると、子育ての環境としては賃貸で我慢を強いるよりはのびのびできるかなと、多少後悔の念は和らいでいます。

 ただ、何も知らない当時の自分が言われるがままにローンを組みハンコをついて契約を交わしたのは悔いています。とにかく知識の無さに悔いています。実生活に役立つ知識がなにもなかったわけです。そして人生で初めて借金を背負いました。35年ローンです。

訪問営業

 2回餌食になっています。家の外壁塗装と太陽光発電パネル。後述の学資保険も含めれば3つの訪問営業にしっかり貢献しています。曲がりなりにも営業職のものとして、アポイントもなしに突然自宅へ訪問してモノを売るような業者に信頼できる業者はいないと思っています。そこは相手もプロで、しっかり妻と話し込んだ後日に私が在宅中に訪問するアポイントをとるわけです。取り次ぐ妻も妻ですが、相手のスキルが上手だったんでしょうね。2回とも同じ方法です。簡単に言えば、「現在お宅には激安価格でご紹介できますが、紹介枠がございますので即決いただきい」というような文句を述べます。外壁塗装に150万円、太陽光パネルに250万円、計400万円のローンが上乗せされました。外壁塗装は昨年一括返済しましたが。

 教育資金の学資保険も同じなのですが、考える時間を持たなかったことが反省の一つです。例えば「今しかこの価格で紹介できません」というような文句をのたまう業者さんには、即決を求める時点でNOを突き付けるべきでした。相手に考える時間を与えないなんていうのは、販売方法として卑劣です。まして100万円を超える大金が動くのであれば、相見積もりするなど、検討余地をお客さんには与えるべきです。そもそも、訪問営業を家に上げてはいけません。

教育資金

 子供が生まれた時、たしか2人目が生まれた時に電話がかかってきました。保険会社ではなくJA共済です。いわゆるこども保険のお話で、この時もしっかり家に上げる我らは学習能力がありませんでした。また、モノの販売ではなく保険は別物だという考えもありました。保険も同じです。自分が必要だから買いに行くのであって、売りに来たものを買う商品ではありません。

 正直、学資ローンについては失敗とは思っていません。今も継続して払い込みをしています。巷で叫ばれているような学資ローンは利回りが低いということも理解していますが、一つの貯金と思っています。貯金じゃないですけどね。注意したいのは医療保険を抱き合わせで販売してくることです。当時は一緒に契約してしまいましたが、今年解約しました。子供の医療については私が住む自治体では中学卒業まで無料です。よって必要なしと気づきました。

これから目指す姿

 住宅ローンや外壁塗装、太陽光パネルなど知識がないことから安易な契約をしてローンに苦しんでいる現在です。住宅についても頭金をしっかり用意するなど準備ができていませんでした。自身の経歴からも有利なローンを組む体制もできていなかった。周りの話にながされ、「そういうもんなんだ」と謎の納得感から住宅購入に至ったわけです。

 現在FP3級、過去には簿記検定も受けてきましたが、実生活でもかかわってくる、年金や保険、貯蓄などについて制度や仕組みを理解できてる人は一般には少ないように思います。

 これから勉強を重ねていくことで、自分の身を守るのはもちろん、家族、とりわけ子供達には大人になったときに適切にアドバイスをしてあげられるようになりたいと切に思う現在です。